経典DJ97 「たまるもの」と「ためるもの」
各人の〈いのち〉には、「たまるもの」と「ためるもの」があり、それぞれの多寡によって〈人生のあり方〉が変わってくる…。
そんなお話をいたします。
漢字にすると、前者は「溜まる」、後者は「貯める」となるでしょうか。
いずれも、
「同質のものが、ひとところに集まり、とどまる」
といった意ですが、個人的な感覚では、前者(=溜まる)は「無意識のうちにそうなるもの」、後者(=貯める)は「意識的にそうするもの」という、性格の違いを、覚えます。
同時に、前者からは「人生を滞らせる」というはたらきを、後者からは「人生を好転させる」というはたらきを、受け取ります。
それぞれには、どのようなものがあるでしょうか?
まず、「溜まるもの」です。
耳慣れた表現、そして感覚、と存じますが、「疲れ、ストレス、仕事、支払い、脂肪、ホコリ、汚れ、不満、怒り、罪業…」等々、書いているだけで、溜息(ここにも「溜まる」がありました)が出てきそうなモノたちです。
次に、「貯めるもの」ですが、こちらは「お金(財産)、知識、人徳、実力、善業、ポイント…」などで、いずれも(いっぱいあるといいなぁ…)と感じるモノばかりです。
両者の種類を挙げてみて、改めて感じたのは、
「貯めるものより、溜まるものの方が、種類が多い」
という点、そして、
「溜まるには、努力はいらず(=知らぬ間に溜まる)、貯めるには、努力が必要」
という事柄でした。
そうして、上に述べたような事を漠然と考えていた時に、たまたま手にした小説の中で、(なるほど!)と感じる記述に出会いました。
そこには、「貯めるもの」として、「運」が挙げられており、私たちの「運の良し悪し」を、「ポイントカード」になぞらえて、登場人物の一人が、こんな風に言うのです。
《「運は後払いです。何もしてないのにいいことが起こったりしないんです。ポイントを貯めてないのに何かもらえますか?誰もそんなこと期待しないでしょ。でも、運となると、貯めてない人ほど期待するんですよね」
「このポイントカードは五百円の商品券として使えるんです。どうしてかわかりますか?ポイントが貯まってるからです。ポイントカードをもらった瞬間に五百円として使わせてもらって、あとからポイントを貯めるってことがありますか?」
「運は〈いい〉か〈悪い〉で表現するものじゃないんですよ。〈使う〉〈貯める〉で表現するものなんです。〈運がいい〉と思われている人は、貯まったから使っただけです」
「貯めてないのに、使えないぞって文句言われてもお店は困っちゃうでしょ。運もそうなんですけど、貯めてもいないのに『使えないぞ』『あいつばかりずるいぞ』って言う人、多いんですよね」》
(喜多川泰著『運転者-未来を変える過去からの使者-』ディスカヴァー刊より。⇒《kindle unlimited》で読めます。おススメです!)
いかがでしょう。
「なるほど、その通りだナ」と、お感じにならないでしょうか?
この文章を読んで、思い出したのが、
《耕しもせず、蒔きもしないで、他人の収穫を、うらやむな》
という、荒了寛師のお言葉でした《『羅漢さん毎日毎日の日めくり』(株)市川》。
私たち、「溜まるもの」には無頓着で、それらを放置する一方、「貯める意識」も持たず、また実際に貯めてもいない、貯蓄の配当を求めがちだと、わが身を反省した次第です。
このことを仏教の言葉で言い換えるなら、
「功徳(くどく)を積まず、ご利益(りやく)だけ求めてもダメ」
ということになるでしょうか。
ツイてない、うまくいかない、運が悪い、報われない、結果が出ない…。
そのような「不遇感」「孤立感」を抱く日々が、誰の人生にも必ずあることです。
そうした時にどうか、「溜まるもの」と「貯めるもの」の差異を、思い出していただきたいのです。
決意、勉強、練習、探求、忍耐、不屈、持続…の定期貯蓄。
そして、それらを通して貯えた力を基盤とした、
笑顔、真心、善意、親切、愛語、思いやり…の積立貯蓄。
それらが「満期・満額」を迎える日が、いつか必ず訪れ、物心両面での豊かさが、人生に姿を現します。
更に申し上げるなら、「ためる」ものが増えるにしたがって、「たまる」ものが減る、という現象も現れます。
「私(あなた)は今、徳の貯金、運の貯金をしているのです…)
そう自分に言い聞かせ、周囲の人を励まし、倦(う)まず弛(たゆ)まず、歩んでまいりましょう。