お大師さま

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元三大師良源さま

当山で秘仏としてお祀りしているお大師さまは、
生前の名を良源(九一九~九八五)といい、
第十八代天台座主として
当時荒廃していた比叡山諸堂の復興や
天台教学の興隆、山内の規律維持などの功績を
残し、比叡山「中興の祖」として崇められています。
良源さまは、
元月(一月)三日に亡くなられたことから、
「元三大師(がんざんだいし)」とも呼ばれ、
当山はこの元三大師さまへの篤い信仰によって、
「青柳大師」の通称で親しまれてきました。
また、元三大師さまは、非常に強い霊力でもって
多くの人を救ったことから、
古くから厄除けのお大師さまとして尊崇されており、
様々な言い伝えが残されています。

角大師

このお姿は、元三大師良源さまのもう一つのお姿で、「角大師(つのだいし)」と呼ばれています。
貞観二年(八六〇年)、都で疫病が蔓延した際、良源さまは人々を救おうと、鏡の前で坐禅を組まれました。すると、鏡の中の姿が、みるみる骨ばかりの鬼の姿へと変わっていきました。良源様はその姿を写した取ったお札をつくり、「この影像のあるところ、魔は恐れて寄り付かない」と、お札を民家に配布し戸口に貼るよう伝えました。そうしたところ、病気に罹るものはいなくなり、病気だったものは全快し、たちまち恐ろしい疫病は消え失せたといいます。
以来、「角大師」の護符は、疫病除けはもとより、あらゆる災厄を払う魔除けとして広く信仰されるようになりました。 当山では、様々な災厄から身を護っていただくよう、「角大師」の姿が描かれた、厄除け御守りをお授けしています。

鬼大師

このお姿は「鬼大師(おにだいし)」と呼ばれ、「角大師」同様、良源さまが変化したお姿であるとされます。
鬼の姿に関しては、次のような話も伝えられます。良源さまは容姿端麗で、御所に参内する際には、女官たちが争って一目お目にかかろうとする程でありました。ある年の春、良源さまが御所の庭を散策していたところ、女官たちの花見の席に出くわし、大きな騒ぎになってしまいました。その際、鬼の姿に変じ、驚いた女官たちが目を伏している間にその場を去られたといいます。
鬼に変化された時の様子は、口は耳までさけ、見開かれた両目からは射るような光を放ち、右の手には独鈷(とっこ)を持ち、左の手は握りしめ、共に膝がしらを押さえていて、すさまじい迫力であったと伝えられます。その力強い「鬼大師」のお姿は、厄除けのお大師さまとして信仰を集めています。 当山では、この「鬼大師」の像が大師堂に祀られており、厄除けの護符として「鬼大師」の紙札もお授けしております。

魔滅大師

この三十三もの小さなお大師さまが描かれたお姿は、「魔滅大師(まめだいし)」や「豆大師」と呼ばれています。
時は寛永年間(江戸時代)の頃。河内国(現在の大阪府)の百姓が、比叡山横川に祀られる良源さまをお参りしていると、突然の豪雨に遭ってしまいます。百姓は田んぼの様子が心配でたまりませんでしたが、日が暮れてからの大雨で身動きも出来ず、ひたすらに「お助けください」と良源さまにお祈りをしました。
夜明けを待ち急いで帰るも、村のひどい様子を見て「やはり駄目か」と思いましたが、不思議な事にその百姓の田んぼだけが全くの無事な状態で残っていました。村の人や家族に話を聞くと、夜明け前にどこからか三十人余りの童子が現れ、田んぼを守ってくれたとの事でした。
百姓が再び比叡山をお参りし僧侶に事の次第を伝えると、「観音さまの化身とされる良源さまが、観音三十三身になぞらえ、三十三人の童子となって救ってくれたのだろう」と教示をうけました。 以来、三十三のお大師さまのお姿が描かれた護符が、田を護る札として立てられるようになり、現在では「魔を滅する」ことから「魔滅大師」や「豆大師」と呼ばれ、厄災除けとして信仰されるようになりました。

おみくじの創始者

元三大師さまは、全国の寺社で引かれているおみくじの創始者とも言われています。江戸時代以降、一番から百番までの五言四句の漢詩によって吉凶を判断する、「元三大師御籤(がんざんだいしみくじ)」が民衆の間で流行し、これが現在のおみくじのルーツであると考えられています。
当山では、縁日である一月三日に、僧侶がおみくじを振って参拝者にお授けする、「ふりだしみくじ」が行われます。

青柳大師の伝説

美斉津洋夫氏蔵 浅間縄文ミュージアム画像提供「浅間山夜分大焼之図」

元三大師さまにまつわる話は他にも多く残されていますが、当山にも独特の伝説が伝えられています。
天明三年(一七八三年)、浅間山大噴火の際、利根川の堤防工事をしていた人夫が災害の危険にさらされました。すると、どこからともなく、黒衣をまとった僧があらわれ、一心にお経をあげ、人夫を救いました。しかし、その後、僧は姿を消してしまいます。信者たちは不思議に思いましたが、「あの高僧は龍蔵寺のお大師さまに違いない」と厨子を開いて見ると、東向きに安置していたはずのご尊像が西を向いており、更に、全身には汗をかいており、まるで生きておられるようでした。
それ以降、龍蔵寺のお大師さまへの尊信は益々深まったとされ、この話は青柳大師の信仰の源泉として伝えられています。
お大師様のご尊像は秘仏として大師堂に祀られ、一月三日のご開帳日のみ厨子の扉が開かれます。